1982年に愛媛県松山市で同僚ホステスを殺害し、15年の逃亡生活を送った福田和子。
「七つの顔を持つ女」として世間を震撼させた彼女の潜伏先として、石川県金沢市の老舗和菓子店「松栄堂」が大きな注目を集めました。
福田和子は「小野寺忍」という偽名で、和菓子職人の内妻として12年もの間、一般市民として暮らしていました。
事件から約40年が経過した2024年現在における松栄堂の状況と、福田和子が過ごした和菓子屋での日々を詳しく見ていきましょう。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【画像】福田和子は和菓子屋松栄堂で人気者だった!
、福田和子は、1982年8月に松山市で同僚のホステスを殺害した後、約15年間にわたって逃亡生活を送りました。
彼女が最も長く潜伏していた場所の一つが、石川県能美市にある和菓子屋「松栄堂」です。
以下は、1982年7月18日から1997年7月29日までの福田和子の生活についての詳細です↓
・1982年8月: 福田和子は、当時働いていたクラブで同僚のホステスを殺害し、その後逃亡を開始します。
・1983年頃: 逃亡中、福田は大阪や金沢に潜伏し、東京で整形手術を受けます。この時期に彼女は「7つの顔を持つ女」と呼ばれるようになります。
・1985年: 福田は金沢市内のスナックでホステスとして働き始め、その後、和菓子屋「松栄堂」の店主と親しい関係になります。彼女はこの店で内縁の妻として生活し始めます。
・1985年から1989年: 福田は「松栄堂」で働きながら、店主と同棲し、息子を呼び寄せて甥だと偽って働かせるなどして生活します。この間、彼女は店で評判が良くなり、店舗も繁盛しました。
・1996年: 時効が迫る中、福田は再び名前を変えながら全国各地を転々とします。愛媛県警は懸賞金をかけて捜索を行い、マスコミでも大々的に報道されます。
・1997年7月29日: 福田和子は福井市のおでん屋で逮捕されます。逮捕時には14年344日の逃亡生活が終わり、その後無期懲役が確定します。彼女は2005年に脳梗塞で死亡しました。
この和菓子屋「松栄堂」の所在地は、
〒929-0113石川県能美市大成町102
です。
松栄堂は、福田和子が潜伏していたことから、全国的に一躍有名となったのです。
ですが、地域住民から人気の老舗和菓子店として長きにわたり営業されてきました。
和菓子屋松栄堂での福田和子の評判はどうだった?
松栄堂での福田和子は、誰からも疑われることなく、むしろ評価の高い女将として知られていました。
接客の経験を活かした丁寧な対応と、温かな人柄で常連客からの信頼も厚く、店の売上向上にも貢献していたとされています。
早朝から深夜まで献身的に働いたようです。
常連客からは、
「いつも笑顔で接してくれる素晴らしい女将さん」
という評価を得ており、後に逮捕された際には、多くの常連客が驚きを隠せなかったといいます。
実際、地域の人々にとって福田は、真面目で勤勉な働き者というイメージが定着していたのです。
【2024最新】福田和子の和菓子屋松栄堂の現在は?
松栄堂は、2018年7月、約100年の歴史に幕を下ろしました。
老舗和菓子店は、現在では建物の外観のみが当時を偲ばせています。
閉店後、建物は取り壊されることなく現存していますが、新たな店舗としての活用はされていません。
地域の人々にとって、松栄堂は福田和子事件と切り離せない存在となりましたが、それ以上に長年愛された老舗和菓子店としての記憶が色濃く残っています。
和菓子屋松栄堂の閉店理由は何?
松栄堂の閉店には、複数の要因が絡み合っていました。
主な理由としては、
店主の高齢化と後継者不足
が挙げられます。
福田和子の逮捕後、一時的な客足の減少はあったものの、和菓子の品質と味の評判は変わらず、多くの常連客に支えられて営業を続けてきました。
福田和子が逮捕されたのは1997年であり、松村松栄堂はその後も21年間営業を続けていたため、直接的な関係は薄いと考えられているようです。
しかし、和菓子業界全体が直面している後継者問題は、松栄堂も例外ではありませんでした。
技術の継承者が見つからないことに加え、大型商業施設の進出による競争激化も、閉店を決断する要因となったとされています。
松井秀喜も福田和子を絶賛したって本当?
それは、
世界的な野球選手の松井秀喜さん
です。
石川県能美市出身の松井さんは、幼少期、よく松栄堂に足を運んでいたとされています。
当時を知る地域の人々によると、松井選手は和菓子が大好きで、特に松栄堂の職人が作る上生菓子を好んで食べていたそうです。
幼い頃の松井選手を知る福田和子は、「真面目な少年だった」と語っていたとされています。
逮捕後、松井選手は福田和子について、
「きれいで愛想のいいおばさんだった」
とコメント。
このエピソードは、福田が如何に地域に溶け込み、普通の生活を送っていたかを象徴する出来事として、メディアでも大きく取り上げられました。
和菓子屋松栄堂は、石川県において非常に人気のある和菓子店でした。
創業120年以上の歴史を持つこの店は、地域の人々に長年愛され続けてきましたが、閉店されているのは本当に残念ですね。
まとめ
今回の記事は、
・福田和子のは和菓子屋で人気者だった!
・福田和子の和菓子屋松栄堂の現在は?
・松井秀喜は福田和子を絶賛していた?
こちらの内容でまとめました。
福田和子と松栄堂の物語は、犯罪者の逃亡劇であると同時に、一人の女性が必死に新しい人生を築こうとした記録でもあります。
約12年という長期にわたる潜伏生活の中で、彼女は和菓子職人の妻として、また店の女将として真摯に生きていました。
2024年現在、松栄堂は既に姿を消していますが、その存在は地域の人々の記憶に深く刻まれています。
松井秀喜選手の思い出の店としても知られる松栄堂は、複雑な歴史を持ちながらも、確かな技術と味で多くの人々に愛された老舗和菓子店だったのです。
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