2019年4月19日、東京都豊島区東池袋の交差点で発生した死傷事故。
この事故で、飯塚幸三受刑者が運転するプリウスが暴走し、母子2名が死亡、複数名が重軽傷を負うという痛ましい事態となりました。
事故後、飯塚幸三受刑者が元通産省工業技術院の機械技術研究所長という経歴を持つことから、「上級国民」として特別扱いを受けているのではないかという批判が巻き起こり、その影響は家族にまで及びました。
これまで明らかになっていなかった飯塚家の実態と、事故後の家族が直面した困難について、詳細に解説していきます。
そこで今回の記事は、
こちらの内容でまとめていきます。
【家族構成】飯塚幸三には子供や孫がいる!
飯塚幸三の家族構成は、以下の通りです↓
・本人飯塚幸三)
・妻
・息子
・孫
まず、飯塚受刑者には同い年の妻がおり、事故当時も助手席に同乗していました。
妻は事故の衝撃で軽いけがを負いましたが、幸いにも大事には至りませんでした。
長年連れ添った妻は、飯塚受刑者の逮捕後、初めてメディアの取材に応じ、「主人の健康状態は、年齢的なこともあり、徐々に衰えを感じています」と心情を吐露しています。
また、事故後の謝罪や償いについても、「できる限りのことはしたいと考えています」と述べ、被害者や遺族への思いを語っています。
さらに、孫の存在も確認されていますが、プライバシー保護の観点から、具体的な人数や年齢などの詳細は明らかにされていません。
飯塚家は東京都板橋区弥生町の住宅で静かな暮らしを送っていましたが、事故後は自宅の住所がネット上で拡散され、連日のように抗議の声や嫌がらせに遭うことになりました。
特に妻は、高齢であるにもかかわらず、警察から転居を勧められるほどの深刻な状況に置かれました。
しかし、年齢的な理由から簡単には移動できず、自宅に籠もる生活を余儀なくされることになったのです。
飯塚家は元々、地域では静かに暮らす普通の家庭として知られており、近所付き合いも良好だったとされています。
しかし、事故後は周囲の目も変わり、家族全員が精神的なストレスを抱えることになりました。
飯塚幸三の息子はクボタ社長の飯塚智造ではない!
事故発生直後から、SNSを中心に、
「飯塚幸三受刑者の息子はクボタ社長の飯塚智造である」
という誤った情報が爆発的に拡散されました。
この誤情報は、単なる憶測から始まったものでしたが、瞬く間にインターネット上で「事実」として扱われるようになってしまいました。
この誤報が広まった背景には、以下のような要因がありました↓
- 同姓であること:飯塚という珍しい姓が一致していたこと
- 社会的地位:両者とも高い社会的地位にあったこと(元通産省技官と大企業の社長)
- 「上級国民」というキーワード:事故後の捜査対応への批判から生まれた「上級国民」という文脈で、安易に結びつけられてしまったこと
- SNSでの拡散:確認されていない情報が、SNS上で短時間のうちに大量に拡散されたこと
実際の飯塚幸三受刑者の息子は、
一般企業に勤める会社員であり、クボタ社長とは全く無関係
でした。
しかし、このデマにより、クボタの飯塚智造氏も不当な批判にさらされることになり、会社側も事実無根であるという声明を出さざるを得ない状況に追い込まれました。
また、事故直後には「息子に電話して事故を揉み消すよう依頼した」という別のデマも広がりました。
しかし、実際の通話は事故発生から55分後のことで、救急車の到着を待っている間の連絡だったことが、後の捜査で明らかになっています。
息子は父親からの電話を受けた際、すぐに現場に駆けつけ、被害者の救助や現場検証に全面的に協力していました。
このような誤った情報の拡散は、すでに困難な状況にあった飯塚家の苦悩をさらに深めることになりました。
特に息子は、職場や日常生活の場で、根も葉もない噂により不当な扱いを受けることになり、精神的な負担は計り知れないものとなったようです。
2024年4月の被害者遺族との面会では、息子は,
「これまでの報道で誤った情報が広まり、多くの方々にご迷惑をおかけしたことを深くお詫びいたします」
と述べ、デマの拡散によって生じた混乱についても謝罪の言葉を述べています。
さらに、民事裁判の過程でも、息子は父親の責任を認め、できる限りの賠償と謝罪を行う姿勢を示してきました。
2023年10月の判決では、約1億4000万円の賠償が命じられましたが、この金額についても、息子は
「父の起こした事故の責任として、しっかりと対応していきたい」
と述べています。
このように、飯塚受刑者の実際の息子は、父親の起こした事故の重大さを受け止め、被害者や遺族への誠実な対応を心がけてきました。
しかし、インターネット上で広まった誤った情報により、本人も家族も、必要以上の苦痛を味わうことになったのです。
事故後の飯塚幸三の家族はバッシングに苦しんでいた!
2019年4月の事故発生から、飯塚幸三受刑者の家族は想像を絶するバッシングの渦中に置かれることになりました。
その影響は、家族の日常生活全般に及び、深刻な精神的・身体的な負担を強いられることになったのです。
自宅への嫌がらせと脅迫
事故後、飯塚家の自宅住所がSNSで拡散されたことにより、以下のような事態が発生しました↓
- 連日の抗議活動:自宅前での抗議行動が頻繁に行われ、大声での罵声や怒号が続きました
- 脅迫状の投函:「死ね」「家族も道連れにする」といった脅迫文が含まれた手紙が大量に届きました
- 不審者の出没:自宅周辺で不審な人物が頻繁に目撃されるようになりました
- 写真撮影:自宅や家族の様子を盗撮しようとする人々が現れました
- SNSでの住所特定:自宅の外観写真がSNSにアップロードされ、さらなる嫌がらせを招きました
特に飯塚受刑者の妻は、高齢であるにもかかわらず、過酷な状況に追い込まれたそうです。
そのような状況下でも、飯塚家は被害者遺族への償いの姿勢を示し続けたと報じられています。
- 謝罪と対話
- 2024年4月の遺族との面会実現
- 誠実な謝罪の姿勢
- 手紙による気持ちの伝達
- 経済的な対応
- 民事訴訟での約1億4000万円の賠償命令に応じる姿勢
- 保険会社との協力による支払い体制の整備
- 社会的な責任
- メディアからの取材への対応
- 誤った情報の訂正要請
- 透明性のある対応
しかし、このような努力にもかかわらず、新たな困難も発生しています。
賠償金支払いを巡る批判や遺族との面会後の新たなバッシング、継続する誹謗中傷、プライバシー侵害の深刻化などが現在もあるようです。
このように、事故から5年が経過した現在も、飯塚家は様々な形での批判やバッシングに直面し続けています。
家族は、加害者の家族として重い責任を感じながらも、日々の生活を送ることを余儀なくされているのです。
まとめ
今回の記事は、
・飯塚幸三の家族構成は?
・飯塚幸三の息子は(株)クボタの社長ではない!
・飯塚幸三の家族は事故後もバッシングに苦しんでいた!
こちらの内容でまとめました。
飯塚幸三受刑者の事故は、加害者本人だけでなく、その家族にも大きな影響を与えました。
特に、息子がクボタ社長であるというデマの拡散や、「上級国民」としての批判は、家族に深い傷を負わせることになりました。
事実として、飯塚受刑者には妻と一人息子、そして孫がいますが、息子はクボタ社長の飯塚智造氏とは無関係です。
家族は事故後、深刻なバッシングに苦しみながらも、被害者や遺族への謝罪を続けてきました。
2024年4月には息子が遺族と対面し、父からの謝罪の手紙を渡すなど、償いの姿勢を示しています。
しかし、社会からの批判は現在も続いており、家族は依然として困難な状況に置かれています。
この事件は、加害者家族が背負う苦悩の重さを私たちに考えさせる機会となっているのです。
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